会社紹介

Company introduction

明治4年の創業から150年以上、永瀬留十郎工場は鋳物業界を牽引し続けています。川口と鶴岡の二拠点で、熟練の技術と最新設備を融合させ、未来を創る鋳物を世に送り出しています。

企業使命

corporate mission

「高品質で精密な鋳物製品を、伝統の技と最新の鋳造技術を融合させて提供し、日本の製造業と地域社会の発展に貢献する。」私たちはこの使命を胸に、150年を超える歴史の中で培われた技能と技術を活かし、社会に価値あるものづくりをお届けしています。

鋳物を通じ産業の振興に寄与する

Social contribution

当社は、半導体製造装置用の精密部品や景観鋳物など、鋳物の持つ多様な可能性を追求し、産業機器から都市空間まで幅広い分野に貢献しています。鋳造技術コンクールでの連続受賞など、技術の研鑽と発信を通じて、日本の鋳造産業全体の振興にも寄与しています。

コアバリュー

Core values

私たちの根幹にあるのは、「技能 × 技術 × 誠実なものづくり」です。これは、熟練の職人技と最先端設備の融合、そしてお客様との信頼関係を大切にする姿勢に表れています。時代の要請に応える製品づくりを通じて、常に挑戦し続ける企業であり続けます。

我社の歩み

初代永瀬留十郎

沿革

  • 1871年(明治4年) 初代永瀬留十郎、鋳物業創業
  • 1882年(明治15年)
    コークスを購入し従来の木炭溶解を廃しコークス溶解に転換する。
  • 1890年(明治23年)
     司法省より鋳鉄門扉を受注し、その門扉を第3回国内勧業博覧会に出品し褒賞を授与。
二代目 永瀬利兵衛
三代目 永瀬正夫
  • 1909年(明治42年)
     石油エンジン・風車を導入し、従来の鞴(タタラ)吹きを近代的送風法に転換する。
  • 1920年(大正9年)
     初代の長男_永瀬利兵衛、第二代目永瀬留十郎として経営を受け継ぐ。
     
    関東大震災・満州事件・志那事件・太平洋戦争を乗り越え、今日の永瀬留十郎工場の礎を築く。
     第二次大戦では海軍の監督工場に指定され、戦後はミシン・食品加工機・一般産業機械などの部品を製造した。
  • 1945年(昭和20年)
     二代目永瀬留十郎の長男_正夫が第三代目留十郎として経営を受け継ぐ。
  • 1950年(昭和25年)
     法人組織を改め、株式会社永瀬留十郎工場を設立し取締役社長となる。
  • 1958年(昭和33年)
     明治・大正年間に建てた木造工場を鉄筋工場に改築し、クレーン3ton_2台を設置し生産量拡大を図る。
三代目 永瀬正義
四代目 永瀬利男
櫛引第2工場
櫛引工場3号棟
櫛引工場4号棟
  • 1962年(昭和37年)
    三代目永瀬留十郎工場の長男_正義が第四代目永瀬留十郎を継ぎ取締役社長となる。
  • 1963年(昭和38年)
    鉄骨ストレート2階建の仕上工場及び中子工場新築。
  • 1965年(昭和40年)
    受注増大に伴い溶解炉(キューポラ)3ton_1基、2ton_1基を設置。
  • 1968年(昭和43年)
    階下を第2仕上工場、階上を機械工場及び試験室にした鉄筋ストレート2階建てを新築。
  • 1970年(昭和45年)
    大正年間に建てた木造工場を鉄筋工場に新築し、自動処理装置及び造型機を導入、近代的設備の鋳造工場に一新する。
  • 1971年(昭和46年)
    創業100周年を迎える。
  • 1994年(平成6年)
    四代目永瀬留十郎(正義)が会長に就任、実弟の専務取締役_永瀬利男が第五代目取締役社長に就任。
  • 1998年(平成10年)
    山形県鶴岡市櫛引地域に第2工場起工。
  • 2004年(平成16年)
    大物製品に対応すべく櫛引工場3号棟増設
  • 2006年(平成18年)
    櫛引工場4号棟増設。
  • 2010年(平成22年)
    五代目取締役社長_永瀬利男の長男、永瀬重一が第六代目取締役社長に就任。
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